ありのままで

父の死~壮絶な幼少期を送り笑ってしまうくらい波乱万丈の思春期から成人となり目指した看護師への道。その後もまだまだ濃厚な試練と戦っています。

父の死

昭和50年に私は誕生しました。

私の誕生に合わせて父はマイホームを建てました。


父は有楽町の電気ビルで一部上場の会社を経営していたそうです。


そうです。というのは私はあまり父の記憶がないからです。


父は幼い頃から重度の喘息を患っており

吸入でその時その時を凌いでいたそうです。


ぼんやりと記憶にあるのは

父が仕事から帰りステテコ姿で

応接間にある机を叩き何故かキレていたシーン。


隣の居間で黙り込んでいた母、姉、兄の姿。



そして私の最後の父の記憶は

居間で横たわる父に乗り

「パパおきて~」と声をかける自分。

それを見て泣く知らない人々の姿。


数日経ちお寺のような場所で赤子をおぶった伯母に

「強く生きて行くんだよ?」的な声を掛けられ


いかつい袈裟を着たお坊さんが2名お経をあげている所


ズラリと並んだ人々の前で転んで泣いて

母と姉兄と並んだ事。


そして母に抱かれて棺桶の中の父を見た所

号泣する母と姉と兄


ここまでが私の父の記憶となります。


父が亡くなったのは会社の社長室


呼吸不全による心肺停止だったのだろうと

今となってはそう思います。


亡くなった日、相当呼吸状態も悪く

青ざめた顔で会社に向かったそうです。


母は何度も止めたそうですが、仕事に対する熱意が強く

絶対に休む事はしない人だったそうです。


会社で倒れ心肺停止状態の父の心臓マッサージを続けていた病院に母に連れて行かれ

「もう止めてください……」と母は言い

父を看取ったそうですが全く記憶はありません。

昭和54年2月15日

享年37歳


あまりに早すぎる死でした。


私が3歳の時の出来事でした。


父は社長で高級車に乗っていたのに

その高級車のトランクにノコギリをしまっていたり


武士に憧れがあったのか


「今日からパパではなく父上様と呼べ」と言ったり


なかなかユーモアのある人だったそうです。


人は死期を感じると不思議な行動を起こすと母と姉は言っていました。

亡くなる数ヶ月前に

母に着物や宝石、家具など買い与え


亡くなる前年(2ヶ月前)には家族旅行し

皆で正月の日の出を見て合掌したそうです。


そして恐ろしい形相をした老人が夜な夜な父の前に現れ父は怯えていたそうです。

死神だったのでしょうか?


それでも最期は本当に呆気なく

旅立ってしまいました。