ありのままで

父の死~壮絶な幼少期を送り笑ってしまうくらい波乱万丈の思春期から成人となり目指した看護師への道。その後もまだまだ濃厚な試練と戦っています。

6年間

冒頭あたりで話していた高校時代の話に戻ります。



私は飲み屋や遊びを優先してしまい、留年しました。


次はちゃんと通わないと…。


18歳の時にとある男性と知り合います。


彼はネグレクトで育ってきた過去があります。

お互い虐待を受けて育ってきた…

それだけで親近感が湧きました。


しかし、彼は仕事が全く続かず

麻雀やパチンコ三昧。


半同棲していた私が生活全般負担していました。


そして、負の連鎖。


暴力と女遊びが激しい男でした。


殴られ転んだところを顔面思い切り蹴飛ばされるなんて日常茶飯事でした。



日に日に追い詰められてきた私は別れる事を考えていました。


ある日、再び妊娠してしまいます。


彼は喜んでくれたのも束の間、妊娠している私を飲み屋で働き続けろと言います。


ある日、仕事が終わり彼のマンションに帰ると鍵が開きません。


そう、彼は部屋に女を連れ込んでいました。


私は「もう死のう。この子だけ死ぬなら私も一緒に…。」


私はマンションから飛び降りました。







もう死ぬ以外の選択肢しか無かったのです。


命を犠牲にするなら、自分も犠牲になるべきだと、それしか頭にありませんでした。





次に意識が戻ったのは、知らない男性が

「しっかりしろ!すぐ救急車来るからな!」と言われた事。


救急車の中で再び意識が戻るも呼吸が出来ず気を失いました。



次に意識が戻ったのは病院のERの中


服をハサミでジョキジョキ切られ


「レントゲン!」と医師が言っていたところ。



え?助かったの?私………。



「お腹に赤ちゃん……います……」


「母体優先だから!」




再び意識が無くなりました。




頭を強く打ち、内蔵損傷もある。助かる可能性は極めて低い。時間の問題です。



家族はそう説明を受けて、葬儀の準備をしていたそうです。






ところが3日後、私は意識を取り戻します。


暗い無重力の中、フワフワと浮いたり沈んだりしていました。

とても気持ちが良く、祖母と実父が2人の赤ちゃんを抱いていました。




「………!サラ!?…サラ!!…サラ!!」


この声でハッと目が覚めた感じです。


左側に母と姉が居ました。


「………あ…。あれ私??」


「わかる?!」


「うん…。」


「〇〇君居るよ!」

彼が居ると言うのですが見えません。


私は右目の視力が無くなっていました。



「あー………。



何の感情も彼にほ湧かなかったです。



「大丈夫?」と彼。


「…………………。」




その日を境に私は驚きの早さで回復していきました。


足も負傷した為、リハビリで失禁したりしましたが、私は助かったのならお腹の子と2人生きて行こうとリハビリを頑張りました。



しかし医師から言われます。

「治療でかなり強い薬を使ったから、赤ちゃんは産めない。」と。


私は自分のした事を心底後悔し、泣き崩れました。


「何で死のうと思ったの?」


そう言われ私は嗚咽が止まりませんでした。




私は2人も子供を殺した…。

殺した…殺した…殺した…。




そこからあまりのショックに私は鬱状態となり、あまり記憶がありません。


ただ一度、病院の廊下を失禁しながら我が子達を探し回りパニックを起こし鎮静剤を打たれた事はうっすら覚えています。



時が経つにつれて私は落ちつきを取り戻し

「何で死のうと思ったの?」と言った医師に謝罪されました。

何で謝るのかな?


ピンときませんでした。



退院を迎え、私は実家に戻りました。


彼は私の金品も質屋に入れてお金に変えていたし、何も取りに行く物はありませんでした。




彼は時折私に会いに来ましたが

「もういいわ。」


私は別れを決意しました。


呆気なく関係はきれました。



後々に知りましたが、彼は私の知り合いのカタギではない面々から締められて、その地で暮らせなくなった。と聞きました。


「もうどうでもいいです。。。」



私は彼に何の感情も湧きませんでした。





結局、学校に行けず再び留年しました。



6年間高校に行く事が決定しました。




私は何故この時高校を辞めなかったのか、今でも不思議に思っています。



何か不思議な力というしか表現できません。


辞めたらいけないと、何か、誰か分かりませんが頭の中で誰かに言われていた感覚でした。



私は再び夜の仕事と学業を続けました。





とにかく真面目に通学しました。






そして、6年間という歳月をかけて私は高校を卒業しました。



6年高校に行く意味とは?意義とは?


自分でもわからなかったのに、卒業しました。




しかし今わかった事は、高校を出たという証が無ければ私は看護師になれてはいなかったという事だけです。